Novels

これまでに書いた超短編小説をいくつか。

某テーマパークのショートストーリー(全3編)


『未来を見つめて』ーユージの場合ー


「わかったか。今一時半だから、六時間半後だな。駐車場のこのバスの前に集合。くれぐれも言っておくが、班行動だからな。班のやつらにも言っておけよ」

ディズニーシーの駐車場に、担任の声が響く。全く、何で修学旅行でディズニーシーなんだ。そして、なんで俺は班長なんだ。優治はチョキを出した自分の右手を恨んだ。

 アクアスフィア。巨大な地球のモニュメントがゆっくりとまわっている。

「と、いうことで、班行動を守らないといけないんだけど……」

「俺、一抜けた。忙しいんだ、母ちゃんと妹にみやげ頼まれてんの。なんでも新しいミニーのグッズらしいんだけど、そんなわけで、よろしく」

 博は地図とおみやげのリストを手に、班員を残して歩き出した。

「俺も。すまん、優治。三組の有希子と約束してんだ。おっとやばい、急がないと」

 腕時計を大げさに見て、友樹は待ち合わせ場所と思われるメディテレーニアン・ハーバーへ駆けだした。

「あのう、言いにくいんだけどさ、俺ら今日のタワー・オブ・テラーのためにはるばる関東まで来たようなもんなんだよな、それでさ、なあ、健太」

「なあ、寛太」

 最近人気の双子のお笑い芸人を思わせる、仲良し二人組の健太と寛太だ。

「行けよ」

俺はいよいよ馬鹿馬鹿しくなってきた。

「恩にきるよ、班長様」

頭を下げながら走っていく二人を見送りながら、俺は途方に暮れた。班員は六名。残ったのは俺と、紘輝。どうしろってんだ、男二人。しかも、紘輝と。

「ちょっと急いでるんだけど、優治、どうする?一緒に来る?」

「あ、ああ。一応班長だからな」

早足で歩く紘輝の後を追う。何を考えてるんだろう。今度の期末で紘輝について述べろという問題があったら迷わずこう書く。「優等生」。塾なんかの全国模試だとトップ二十番に入っているらしい。授業中の態度もまじめ、寝ている俺の横で必死にノートをとっている。一番不快感を覚えるのが、英語の時間。やたらネイティブ的発音を心掛けているようでうっとおしい。外国人講師のマイクに、エクセレントヒロキ、なんて言われている。

「よかった、間に合った」

知らない間にジャングルのような地域に入っていた。紘輝は、ハンガーステージと書かれた古い倉庫のような建物に入っていく。俺も班長の建前、同行することにした。

ミスティック・リズム。森に眠る精霊たちの姿を力強いダンスとアクロバットで表現したステージ。紘輝に声をかけられるまで、ステージが終ったことに気がつかなかった。

「すごかったね、やっぱり来てよかった」

「あ、ああ」

何か気のきいた感想を言いたかったのだが、ただ曖昧な相槌をうつのが精一杯だった。

「次まで少し時間があるんだ。ニコロズ・ワークショップっていうお店に寄っていいかな」

 イタリアの港町を切り抜いてきたようなメディテレーニアン・ハーバー。その端にその店はあった。ガラスで作られた工芸品の数々。ちょうどやっていた職人の実演を紘輝は食い入るように見つめている。

「すごいなあ。この人の手から生まれてくるんだ」

 小さい頃、じいちゃんがその辺の流木にニスを塗って磨いていたのを思いだした。ばあちゃんはまたごみが増えるといって嘆いていたけれど、俺にはわかった。何かを作ること、その行為に対する衝動。

 店をでて、アメリカンウォーターフロントへ歩き出す。アメリカの古い街並み。行ったことはないが、映画で見たことがある。「雨に唄えば」のメロディー。

「ミュージカル、好きなの?」

紘輝が目を輝かせる。不覚にも口ずさんでしまったらしい。

「じゃ、やっぱり一緒に観よう」

 ブロードウェイ・ミュージックシアターに二人の男子高校生が並んで入場し、今にも踊りだしそうな様子ででてくる、周りの人から見れば異様だろう。ジャズの演奏も、タップも、劇場の雰囲気も最高だった。ジャズの余韻を頭に響かせながら外に出ると、少し薄暗くなっていた。

 白い船体に青と赤の煙突。SSコロンビア号だ。ライトアップされた豪華客船でのディナーを楽しむ人々を尻目に、ヨットの見えるほうへ歩く。橋を渡り、しばらく歩くと小さな漁村が見えてきた。

「腹、減ったな」

スナックを売るワゴンの前で空腹であることに気がついた。

「うきわまん、食べる?」

紘輝はワゴンにかけより、あっという間に二人分のうきわまんを調達してきた。この先の灯台のベンチで食べることにした。

港は光であふれている。俺と紘輝の先に広がる海はどこまでも暗い。紘輝は、うきわまんを口へ運ぶその手を止めた。

「僕ね、卒業したらニューヨークに行くよ」

「えっ?」

「ダンスやりたい」

「大学は、行かないのか。もったいないな、お前、我が校のホープだぞ」

「なんで?やりたいことがあるのに、しないほうがもったいないよ」

「もう学校にも話してあるんだ」

「そうか」

バスの中は久々の行楽ではじけた同級生が興奮さめやらぬ様子で騒いでいる。おみやげをみせびらかす女子たち。顔を寄せ合いシャッターを押すカップル。我が班の班員たちも無事だ。博は妹たちへの貢物をすでに宅急便で送ったらしいし、友樹は疲れた表情でミッキーの耳をつけたまま集合場所へ現れた。健太・寛太に関しては、タワー・オブ・テラーで何度も数学の問題を解こうとしたが無理だった、などと言っていた。

東京のホテルへ向かうバスの窓の外に花火があがる。マジック・イン・ザ・スカイが始まったようだ。隣に座る紘輝の少年のような顔が窓ガラスに映った。じっとバスの外に続く暗い道路を見つめている。

――やりたいことがあるのに、しないほうがもったいないよ。

「そうだな」

俺はつぶやいて、目を閉じた。


 

 

『探し物は何ですか』ーヒロシの場合ー


コーヒーをすすりながら、博は思い出した。十二月のディズニーシーでコーヒーをすすっていたのはあの日も同じだった。

「うー、寒い。寒い時は温かいコーヒーだよね、やっぱり」

詩織は、買ってきたばかりのコーヒーを両手で覆い、白い息を吐き出している。

「大学生最後のディズニーシーが、こんなに寒いとはね」

彼女は二年次を終える今年度で大学を辞め、来年から看護師の専門学校へ進学する。俺は詩織のいなくなった大学で間延びしたキャンパスライフを続けることになるだろう。最近では時々、一緒にいても詩織が遠く感じることがある。大学近くの書店で、立ち読みしていた本から目をあげ、看護師への憧れを語った時。専門学校への進学が決まったと弾む声で電話してきた時。きらきらと希望にあふれている、まさにそんな感じだ。俺は、俺は。大学の進路指導室で就職活動対策講座の貼紙を見るたびに、息苦しくなる。何がしたいんだろう。何をして生きていくんだろう。

「おなかすかない?なんか買ってこよっか」

俺の返事を聞かないうちに、詩織は財布を持って立ち上がった。あの日も、一人でベンチに座ってたな。あれは、たしかマーメイドラグーンからアラビアンコーストへ向かう途中、きのこみたいなパラソルの下だった。俺は高校二年生、修学旅行で妹君や母君にやたらとみやげを頼まれてたんだっけ。

 

「S高の朝倉くんです、よね?」

修学旅行でなぜかディズニーシー、さらに男六人で班行動なんてと一人抜けてきた博は、学校の関係者か、これでまた班行動か、とうんざりした気分で顔を上げた。そこに緊張した面持ちで立っている彼女は、たしかF高の麻木さんだ。状況が飲み込めずにいると、黒いセーラー服に赤いマフラーの美少女が続けた。

「うちも修学旅行なんだけど、なんかはぐれたらしくって。F高の子たち、見なかった、よね?」

「は、はあ」

寒さのためか麻木さんの白い頬はほんの少し赤みがかっている。肩までの髪はマフラーの中におさまり、きれいな曲線を描いている。彼女とは、K大模試でよく会う。といっても話したことはなく、名字の関係上、試験会場で隣に座ることが多いというだけだ。休憩時間に自動販売機のそばで友達と話す彼女を遠目に見たり、廊下ですれちがったり、たまに目が合っても気まずくてそらしてしまう程度の顔見知り。

「あの、朝倉くんは、班行動じゃないの?」

「みやげの調達に忙しくて、班でなんて動いてられなくてさ」

それも、嘘ではない。実際、妹君への貢物を買うために走りまわっている。

「朝倉くんさえよかったら、なんだけど。そのおみやげ探し手伝うから、一緒にうちの班の人探してもらえないかな」

「え、ああ、あの」

何か言おうとしたときには、すでに麻木さんは置いてあったおみやげリストを手にとっていた。

「じゃ、とりあえず、おみやげショップを手当たり次第に探そうよ」

おみやげショップでは、彼女はますます元気だった。いろいろな種類の耳を試着してみたり、耳つきのマグカップに目を輝かせてみたり、巨大なミッキーのぬいぐるみを抱き上げたり。そうこうして、おみやげリストには購入済のチェックがつき、あと一品で完了である。

「にしても、麻木さんの友達、どこ行ったんだろうね。こんなにうろうろしても見つからないなんてさ」

おみやげのビニール袋を両手にぶらさげ、アンバランスな体勢でリストを制服のジャケットのポケットに入れる。

「そうだね。あ、あそこコーヒー売ってる。あと一品はあとにして、ちょっと一休みしない?」

みやげものの中からぬいぐるみを取り出し、リストと照らし合わせている間に麻木さんはコーヒーを持って戻ってきた。

「朝倉くんはさ、どうしてK大なの?」

「私はわからないの。自分が何をしたいのか。見えないっていうか、イメージできない」

下を向く麻木さんの髪がその白くてきめの細かい頬にかかる。

「わからないよ、俺も」

「そっか。じゃ一緒だね」

麻木さんは、ほっとした様子でコーヒーに口をつけた。

 

あれから三年か。博はコーヒーをベンチの端に置いた。

「あれから三年たったんだね」

麻木詩織は、白い頬に垂れる髪を耳にかける。

「俺は今でもわからない。情けないけど、これから何をしたらいいのか。詩織は見つけたのにさ」

 詩織がどこかに行ってしまうのではないか。口に出してみて改めて二人の差を感じてしまう。

「ね、本当はあの時、一人で座ってる博を見つけて、友達に頼んだの。どこかで私達を見つけたら、隠れて、って」

「道理で、いつまでたっても合流できないわけだな。じゃ、俺も一言。実はおみやげリストの最後の一品、あれ、すでに見つかってたんだ」

 詩織は照れたように少し俯き、そしてあの日と変わらない笑顔がこぼれた。

「今度は博のやりたいことを探すんだよね、一緒に。おみやげじゃなくて」

 俺の答えを聞く前に、詩織はマフラーを巻きなおして歩き出した。

 


『その手を離さないで』ーユキコの場合ー


 小さなカーキ色のコートについたポケットのようなフードが揺れる。3歳ぐらいだろうか。その後を、若い夫婦があわてて追いかけている。小さなフードの持ち主の男の子はゆうすけ、というらしい。私も何年か後には隣にいる友樹と、この夫婦と同じようにミニ友樹を追いかけることになるのだろうか。有希子はふとその情景を思い浮かべた。うちの場合は、友樹もミニ友樹もどっちも目が離せないかもな。ふふふ、とつい笑ってしまった。

「何、どうしたの」

 友樹は私の少し失礼な妄想に気がついていないようだ。不安がよぎる。先月から上海支社への転勤の話がでている。友樹にではなく私にである。実家は靴屋。祖父の代からのかなりこだわりのある店で、後を継いだ父はかなり苦労していた。幼い頃はパートにでる母の姿を寂しく見送ったものだ。私はこうは働きたくない、そう思って今の仕事を人一倍頑張ってきた。友樹も理解してくれている。きっと上海への転勤も、チャンスだからがんばってきなよ、と送り出してくれるだろう。複雑な気持ちを引きずりながら、メディテレーニアンハーバーを歩く。今日は久々に二人の休日が合い、ディズニーシーに来ているのだ。

「ちょっと、ごめん」

 会社からの電話らしい。私は、目の前に広がるイタリアの風景にうっとりしていた。土色の壁が続く小道。今にもイタリアのおばさんが窓から顔をだして鼻歌を歌いだしそうだ。この窓の一つ一つにそれぞれの人生があるんだな、そんなことを思いながら少し勾配になっている小道を歩いた。

携帯が鳴った。非通知か。携帯をかばんにしまい、顔をあげた有希子は違和感を感じた。あたりを見回す。日本人の姿は見当たらない。ここは、ここは、ディズニーシーじゃない。混乱で血の気がひくのがわかった。

「ね、ちょっと、あなた、大丈夫」

見るからに上品な老婦人だ。石畳にうずくまる私の背中をさすってくれる。

「あなた、日本人ね。とにかく少し休みましょう」

 細い小道を下っていくとそこは港だった。つなぎを着た体格のいいおじさんたちが、にぎやかに船から荷物をおろしている。婦人は港に面したカフェに入り、店の人にテラスにするわ、と目配せした。私のほうは、温かいコーヒーを飲んで少し落ち着いた。婦人にお礼を言ってそして、たずねた。

「なぜ私を日本人だと?」

「このへんじゃ、めずらしいわ。前にも日本人とここに来たことがあるのよ。ずっと昔。私はこの近くのビスコッティーズというパン屋で売り娘をしていた。彼は、町でも厳しい皮職人の親方のところで見習いをしていたわ。私はまっすぐなあの人が大好きだった。このテラスで、私たちはいくつもの時間を過ごしたわ。春も、夏も、秋も。でも、そうね、今頃かしら。彼は急に日本へ発たなければならなくなったの。ごめんなさい、どうしてこんな話をあなたにしてるのかしらね。でも、不思議なの。あなたとは昔から知り合いだったような気がして」

 婦人はエスプレッソの丸みをおびた小ぶりなカップを静かに置いた。

「それからどうしたんです」

「彼は私に一緒に日本へ行かないかと言ってくれたわ。日本へ出航する船の切符を置いて去っていった。港で待ってるから、そう言って。でも、私は行けなかった」

「まっすぐで、ふふ、少し方向音痴な人だったわ」

婦人が微笑むその瞳に少女のような輝きが見えた。私も友樹のことを話すとき、こんな顔をしているのかな。―そうだ、友樹。

「私、行かなくちゃ」

私は、カップを持ったまま立ち上がった。

「彼のところね」

婦人は使い古して少し色の変わった皮のバッグから、くたびれた紙を取り出した。

「これで船に乗れるわ。あの船よ。すぐ行きなさい」

間違いなくそれはあの日の切符だった。

「でも」

「絶対に手を離しちゃだめよ」

出航間際の船に滑り込む。そうだ、あの婦人の名前を聞いていなかった。港を離れていく船の甲板から叫ぶ。

「おばさま、おばさまのお名前―」

「マリナよ、マ・リ・ナ」

婦人はたしかにそう言った。その時、全てを思い出した。マリナ。『真里菜』。それは祖父の開いた靴屋の名だ。そういえば祖父は昔、海外で修業をしていた。そうか、祖父はあの婦人を思ってあの店で靴を作り続けたのだ。

携帯が鳴る。

「もしもし。有希子。どこ。どこにいる」

懐かしい声。友樹だ。

「私、私は―」

船の上は家族連れであふれている。日本人だ。甲板の上を走り回る子供たち。戻ってきたんだ、ディズニーシーに。

「フォートレス・エクスプロレーションの大きな船の上」

「今行く」

しばらくして友樹は息を切らしてマゼランズの前にやってきた。

「探したよ。どこかに行っちゃったんじゃないかって」

すっかり日も暮れた。メディテレーニアンハーバーに温かい明かりが灯る。涙でまるで港全体に光がともっているように見える。決めた。この手は離さない。


ワコールのショートストーリー。パンツの気分で書くという課題です。

『私はパンツ』


 私の名前は、ドットちゃん。ゆりちゃんのパンツだ。ゆりちゃんは大学1年生。ゆりちゃんと私の出会いは、高校3年生のとき。卒業旅行でパリに行くってなって、ゆりちゃんは私が眠っていたあのお店に来てくれたんだ。

 あのお店のことは好きだった。おしゃれな若者が多い古着の町にあった。大きめのウィンドウに色とりどりの折り紙や小さな旗と一緒に私の友だちが綺麗に飾られていた。ゆりちゃんがお友だちのマキちゃんと、セーラー服のスカートを翻して明るい笑い声とともに入ってきたんだ。ゆりちゃんは店内を、誰かを探すように見渡していた。マキちゃんはとにかく活発な子で、セクシー系のブラを胸にあててみたり、かと思うと部屋着コーナーでちょっと露出度の高いキャミソールを見ていた。後で、ゆりちゃんがマキちゃんと電話しているのを聞いてわかったんだけど、そのとき、マキちゃんは一世一代の恋をしていたんだって。「恋」ってなんだろうね。難しいな。何やらマキちゃんは電話で、泣いていた。つい最近のことだよ。電話口から漏れるすすり泣きと、「本当に大好きだったんだって、本当に大好きだったんだなって、今頃わかったなんてもう笑えちゃうよね」って言葉が忘れられない。

 ゆりちゃんの話に戻るね。ゆりちゃんは、とにかくキョロキョロしていた。私の友だちのストライプちゃんや、セクシーちゃんを引っ張りだしては「うーん」って首をひねっていた。私はドキドキしながら、ゆりちゃんが私を手にとってくれるのを待っていた。マキちゃんが「ねえ、ゆり。もう気に入ったのなかったら別のお店行こう!」って、ゆりちゃんのかばんについたキャラクターのキーホルダーをついっと引っ張った。ああ、やっぱり今日もお店でお留守番か、と思ったその時、ゆりちゃんが「これ!」って言った。そう、その「これ」が私、ドットちゃんだったんだ。

 その日から、私はゆりちゃんのお気に入りになった。一緒にパリにも行った。ゆりちゃんが、覚えたてのフランス語で、スイスイ歩くフランス人の女性に「エクスキュゼ・モア」

って話しかけたのも知ってる。ゆりちゃんの勇気ある行動に、ゆりちゃんのパンツである私も関心した。

 そのゆりちゃんが最近、おかしい。大学に入ってから2ヶ月経った頃から、ため息が多くなった。食欲もあまりないみたい。ゆりちゃんが食べないから、私も少し緩くなってしまって、このまま痩せていっちゃったらどうしようって心配になる。

 ゆりちゃんは、木曜の教養の授業「心理学概論」のときはいつも木原くんの隣に座る。木原くんは、ゆりちゃんとは学部も違うらしいけど、教養の授業だけ同じになるしゅっとした男の子だ。水曜日の夜のゆりちゃんはすごく元気。お風呂にも長く入るし、そんなときは決まってローズのアロマオイルを一滴、お風呂に入れている。色白なゆりちゃんの頬はほんのりピンクになって、お風呂からでると、ゆりちゃんは迷わず私を選ぶ。ゆりちゃんが楽しい日に私はいつもゆりちゃんと一緒にいられる。そして、私はゆりちゃんと一緒にネイルを落として、ピンク色の可愛いネイルを塗り直すんだ。水曜日の夜のゆりちゃんは、ゆったりした音楽を聞きながら、木曜日の洋服選びをしている。ゆりちゃんの服は最近、急に女の子っぽいものが増えた。前は結構シンプルでときにシャープなおしゃれさんだったのだけど、今は洋服屋さんに行くと短いスカートやワンピース、ふんわりした印象の洋服を選ぶようになった。その可愛い洋服たちの中から、最も可愛い洋服の組み合わせを選んでハンガーにかけておく。そして、それを見て満足して、ゆりちゃんはゆっくりと布団に入る。ゆりちゃんの1ルームの部屋は幸せな空気で満たされる。

 ある木曜日、ゆりちゃんは見てしまった。木原くんが、同じ学部の女の子と仲良さそうに歩いているのを。女の子は木原くんに肩でぶつかって木原くんも女の子にぶつかって、そうやってじゃれているのを見て、パンツの私でも「これが付き合ってるってことなんだ」ってわかった。ゆりちゃんは急に授業がある教室とは別の方向に走り出した。ゆりちゃんは走って走って、ゆりちゃんの足が地面を踏みしめるたびにかばんの中のプラスチックのペンケースがかたんと音をたてていた。

 ゆりちゃんは、大学を抜けて走り続けて、大きな交差点の歩道橋の上で止まった。西の空にはオレンジ色の太陽がゆっくり沈んでいくところだった。今日のために入念に手入れしたネイルも、気がつけば少しはげていて、今日のために選んだピンク色のワンピースにも汗がにじんで、バラの香りがするはずの白い腕は汗ばんでいた。ゆりちゃんの頬には涙がつたって、下では車やトラックが大きな音で走っているのに、「ぽろぽろ」という音がこぼれてきそうだった。ゆりちゃんは、都会の大きな歩道橋の上で両腕の中に顔を埋めて泣いた。オレンジ色の太陽も沈み、都会の人工的な明るさがゆりちゃんを照らしていた。

 しばらくゆりちゃんは、ご飯も喉を通らないようだった。パンツの私が言うのもなんだけど、女の子はちょっとふっくらしてるくらいが可愛い。

 ゆりちゃんはある日、少し嬉しそうに帰って来た。帰ってから机に座り、ぼーっとしている。机につっぷしたと思えば、髪を整えだしたり。その日は私じゃなくてストライプちゃんが着られてた日だった。私はストライプちゃんに聞いた。

「ねえ、ストライプちゃん、何かあったの?」

ストライプちゃんはクールに答えた。

「別に。告られただけ」

「えっ、誰が?誰に?」

私はびっくりした。

「だーかーらー、何だっけあの男。ああ、そう、有川とか言ったかな、あの同じ学部の。あいつが告ってきたわけよ、ゆりに」

ストライプちゃんは、何が起こっても動じない。

「ゆりちゃん、告白されたの?」

「そうそう」

「で、どうだったの?」

「や、なんか、ちょっと考えさせてとかって言ってた。どうでもいいけど」

ゆりちゃんは、有川くんに告白されて、今迷っているんだな。有川くんはちょっと弱気なところもあるけど、そういうところが母性本能をくすぐられるっていうか、そんなかわいい男の子。あー、あの有川くんにそんな勇気があったのか。パンツながら、感心してしまう。ゆりちゃんも有川くんのこと、嫌いじゃないと思う。いつも、なんだかんだで手伝ってあげてるし。

「ストライプちゃん、有川くん、ゆりちゃんになんていって告白したの?」

「えー、なんか覚えてないけど。あ、そうそう、かわいいからすき、って言ってたな」

「かわいい!?」

私はパンツだから知っている。私を選びに来る女の子たちが一番言われたい言葉。

かわいい。

みんな、男の子からのその一言が欲しくて私たちを選ぶんだ。

 ゆりちゃんが、マグカップに入ったコーヒーをぐっと飲んで、携帯電話を手に取った。

有川くんに電話してるんだな、とすぐにわかった。ゆりちゃんの頬がピンク色になる。ゆりちゃんは、言いにくそうにしていたが、ぎゅっと目をつぶってそして言った。

「ありがとう。お願いします」

一瞬の間があって、電話口から有川くんの叫び声が聞こえてくる。

「ヤッター!」

 ゆりちゃんは、今、きっと世界で一番幸せな女の子だ。